プロフィール
岡部 功 (おかべ いさお)
第11期 主将
弓歴
大学 4年間
社会人 17年間
公益財団法人 全日本弓道連盟
千葉県弓道連盟所属
佐倉市弓道連盟 副会長
公益財団法人 日本体育協会 公認スポーツ指導員(弓道)
千葉県立 佐倉東高等学校 弓道部 指導者
2015年4月 獨協大学弓道部 師範
4年生が卒業しました。
この代は、私が師範に就任したときの幹部です。
修練証書授与式と茶話会に参加したのですが、寂しくもあり、嬉しくもあり・・・ですね。
私も、このような時期があったはずなのですが、どのような卒業式だったのか、まったく思い出せません。
遠い昔といっても、自分の節目を思い出せないなんて、ロクな学生ではなかったようです。
ただ、社会に出ることに「絶望感」があったことだけは覚えています。
今まで、気楽でよかったけど、これから社会に出るなんて嫌だなぁ
できれば、このまま気楽に過ごしたいなぁ~
と思っていたことだけは鮮明に覚えています。
本音は絶望感の塊だったと・・・
茶話会でこの話を卒業生にしました。
卒業式を終えたばかりの若者に場をわきまえない挨拶でししたね。
でも、本気で取り組めば世の中なんとかなる。
「なんとかする」という気持ちがあれば、必ずなんとかなるんだよということを伝えたかったのです。
わかったようなわからないよな挨拶となってしまいました。
茶話会の司会がいきなり、「では、ご挨拶を岡部師範お願いします。」
と振ってくれたため、飾った言葉ではなく本音トークがいいかなと思ったので、こんな話になってしまいました・・・
それにしても、本音すぎましたかねぇ
いずれにしても、この代は、私が師範として、どうしようかと考えていたときの幹部で、
彼らも師範とどう向き合っていけばよいかという戸惑いがあったと思います。
お互いに暗中模索の状態だったと思いますので、とくに感慨深いものがありました。
でも、変わり者の師範のいうことを、みんなよく聞いてくれました。
感謝しております。
近い将来、また会えることを楽しみにしています。
そして、社会人として、大きくのびのびと全力で挑戦してもらいたいですね。
いままで、師範だよりをご覧いただきありがとございました。
師範就任時点の幹部が卒業し、一段落つきました。
このコーナーはここでペンを置きたいと思います。
2年間ありがとうございました。
今後も師範として全力で指導する所存です。
OB諸氏のご協力をお願いします。
年が明けたと思ったら、1月ももう終わってしまいますね。
稽古はまだ始まっていませんが、部員は自分なりの調整をしていることでしょう。
普段は「中りばかり意地汚く求めるな」というようなことを言っている私ですが、的中で勝負が決まる世界にいる部員たちに中る楽しさというものも必要だと思います。こんなことを言うと故大内先生から「ふん!」とそっぽを向かれて口もきいてもらえなくなりそうですけどね。
余談ですが、私は現役のころ不忘館(大内道場)で先生から数回口をきいてもらえなくなった経験があります。いまでも覚えていることは、
「なんで中りを求めてはいけないのですか?」
という質問と
「なんで段をとってはいけないのですか?」
という質問をしたときです。
まぁ、エライ目に遭いました!
これについては機会があったらお話しします。
中りについては、それが最終ゴールではないということが私の指導の基本です。求めるものは、一言で言うと「正技」ということでしょうか。
「射法は弓を射ずして骨を射ること最も肝要成り・・・」
これは弓道教本の巻頭にある射法訓の序ですが、原文は、「正技は・・・」となっています。これについては、ご存知の方も多いでしょう。クドクド言うつもりはありません。
私は自らも「正技」を求めています。「正技」を求める過程で、中りはついてきます。中れば当然、試合にも勝てるという結果になります。中りは、「正技」を求める上での単なる過程です。もしかしたら、大内先生もこのようなお考え方があったのかもしれません。
昨年、男子が全日本学生弓道選手権本戦出場を果たしたことで、弓道部は大学から奨励賞を頂きました。リーグ戦では、男子が2部優勝まであと一歩と言うところまで来ました。中ったからです。いずれにしても、1年生にとっては、昨年の試合はよい経験になったと思います。
今年も部員には「正技とは何ぞや」などと小難しいことではなく、大きくのびのびと弓道を楽しむことのできる1年にしてもらいたいと思っています。言うまでもなく、私にとっては「うまくいかなくて悔し涙する」ことも弓道を楽しむことの一環です。「うまくいかないことがうまくいくようになる」ということは、中る以上に楽しいことですからね。
昨年同様、今年もOB 諸氏におかれましては温かい目で部員を見守ってくださるよう切にお願いいたします。
「やってます。でも、できないんです!」
「ちがう!できないんじゃない。やらないだけだ!」
「やってもできないんです!!」
目を真っ赤にして私を睨みつけるようにして訴えてきます。
「お前は、やらないだけだ。いいか、こう引け!」
手を取って行射をサポートします。
すると・・・なんとかなります。
その日の稽古終了時のあいさつで、孟子の梁恵王の一説を紹介しました。
「為さざるなり、能わざるにあらざるなり(不為也、非不能也)」
私の座右の銘でもあります。
簡単に言うと、「やらないだけです。できないわけではないのです。」
と言うことです。
少々飛躍的な言い方になりますが、できないと決めつけてしまえば、それでできないことが確定します。
できるようにするためにはどうしたらいいのかを一所懸命考えて実行しなくてはいけません。
できない理由をいくら積み上げてもできないまま。
できない理由を理屈っぽく言うと「賢そう!」なんて考え違いをしている人も多いかもしれません。
でも、できない理由なんかいくらでも言えます。
できないと言ったきり何もしないのだからこれほど楽なことはありません。
これは弓道だけに限ったことではありませんが・・・。
わたしは、そういう考え方が大嫌いなので、「できない」とは言わないようにしています。
そりゃ、できないことなんかいっぱいありますよ。
でも、言いません。 きらいだから・・・、特に弓道では。
私だって、なかなかうまくいかずにいらいらして弓具に八つ当たりしたことなんか数えきれないくらいあります。
だから彼女の悔しさは、わが身のごとくよくわかるんですよ。
でも、そのくやしさに共感していたら師範として失格でしょ?
だから、なにも感じないふりをして「お前は、やらないだけだ!」と決めつけてやりました。
そして、泣きべそをかいている暇があったら稽古しろと言わんばかりに彼女の手を取りました。
言われた方は、さぞ悔しかったことでしょう。
果たしてその後、彼女はどうなったか・・・。
大幅に改善されました。これは大げさではありません。
本人も相当努力しただろうし、良くなったという実感もあったようです。
涙を流さんばかりに悔しがるくらいの人だから、良くなるに決まっているんです。
弓道は、できないことばかりです。
それをつまらない理屈をこね回し、できないままに放置するか、
できるようになるまで努力して「できない山」を取り崩すか。
それは本人次第です。
ちょっと突き放したような言い方なので、部員たちは師範のことを「とても冷たい人」と感じることもあるでしょうね(^o^;
でも、私の仕事は、彼らに単に弓道の技術を教えるだけではなく、
自ら前進するためにどうするかという「考える力」を養えるように指導することだと思っています。
社会に出てからもこういった力は必ず役に立つはずですから。
今年のリーグ戦で男子は2部優勝、1部昇格が夢ではないと思っていましたが、残念な結果となってしまいました。
部員はさぞかし悔しかったことでしょう。私もとても残念に思っています。
今年の男子は1年生4人が弓道経験者で、そこそこ中るし、射技もなかなかうまい・・・ので師範としては恵まれた環境だったと思います。
だから、このリーグ戦の結果については、師範の指導力の影響はまったくなかったように思います。
今年のリーグ戦は、選手不足により参戦できない大学があるという残念な状況でした。
出場できない悔しさをどこにもぶつけられないのだから、さぞ無念だったことでしょう。
わが校も、初戦を1中差で落とし、悔しい思いをしました。
この1本に泣くというのは、試合では決して珍しいことでもないのですが、
当事者になるとそんなに冷静ではいられませんよね。
リーグ戦前の夏合宿で、こんなことがありました。
それは、そんなに怒ることでもないようなことなのですが・・・
稽古中の立ち稽古でのことです。
会で大きくビクッた部員がいました。それも数回。
私は思わず心の中で頑張れ!耐えろ!と念じていたのですが・・・
彼は、あきらめて引くのを辞めてしまいました。
当然、失となります。
それに私は激怒した(ように振る舞った)のです。
離してみなければ中り外れはわかりません。
離して外れたのであれば仕方がありませんが、離す前にあきらめるという姿勢に喝を入れたのです。
彼の側までよって行き、
「お前、なんであきらめるんだ!離して中らないなら文句は言わないが、離す前にあきらめるなんて、お前やる気があるのか!?
その1射はマグレでも中ったかもしれないんだぞ!やる気がないなら帰れ!」
行射中にどのような障害に見舞われても、その1射を何が何でも的に向かって飛ばすという気構えがなくて、どうして勝負に勝てるのでしょうか?
部員全員にわかってもらえるように声高に怒鳴ったのです。
最後の最後まであきらめない執念深さを持ってもらいたいものです。
困難に直面してもあきらめないで挑戦し続けるという姿勢は、弓道だけでなく彼らのこれからの人生にとっても大切なことだと思います。
リーグ戦が終わって、彼にその話をしましたが、ちゃんと覚えていて私の真意も理解してくれていたようです。
私は今日、早朝から秋葉原にいましたが弓をもって道着を着た学生らしき人を散見しました。
試合会場に向かう途中なのでしょう。
そうです。いよいよリーグ戦が始まり、わが大学も今日初戦を迎えます。
対戦相手は、男子は千葉工業大、女子は国際武道大です。
初戦は確実に勝ちにいきたいものですよね。
的中は・・・、というと、男子は昨年と比べて確実に向上しています。
が、本番でどうでるか・・・
女子は落差が大きいため、ギャンブル的な要素を含んでいることは否めません。
いずれにしてもレギュラーに限らず全員が真剣に弓道に向き合ってくれているので、OB諸氏としては応援のしがいもあるのではないでしょうか。
私は日ごろから稽古に際して、的中に拘らず大きく大らかに引くように指導しています。
しかし、試合となると的中数で勝敗が決するということから目をそらすわけにはいきません。
自分の射を堂々と披露して、勝ちにつなげてもらいたいものです。
師範の立場としては緊張する期間ではありますが、OBの立場としては昔を思い出してわくわくする期間でもあります。
是非、われら後輩たちに盛大なエールを送ってください。
よろしくお願いします。
全関東の予選は男女とも惨憺たるものでした。
師範として申し訳なく思っております。
このような一発勝負の(矢数が少ない)試合は面白いもので、「全員中らなかった」ということが、わが校は往々にして起こります。
稽古中は中っているのに、本番では何かがかみ合わないといったところでしょう。
コンスタントに中る人材を抱える強豪校は24射皆中なんてこともめずらしくないですけど、わが校は6人の「選手」を選ぶのも大変です。
富田監督も頭を悩ませるところだったと思います。
試合後の合同稽古で部員に私から部員に言ったことは、「試合会場から何か拾ってきたか?」ということです。
よほどの脳天気者でなければ、なにか反省点を持ち帰ってきたはずです。
そこからヒントを見出さなくてはいけません。
試合に出られなかった部員も中る大学の射を見て、なにか参考になる「おみやげ」を持ち帰ってきたことでしょう。
興味を持って集中して見ていれば、なにか気がつくものです。
ボーっとしていると目の前で起こったことすら見えません。
中り外れは時の運ですから、出てしまった結果にくよくよする必要はありません。
そんなことより、自分に足りないものを探して、そこを補充することです。
1年生も試合に出場した者もいて、よく頑張ってくれたと思います。
こういう経験を技術面、精神面で活かしてもらいたいものです。
今年の1年生の弓道経験者は男女ともに私の目を引くようなところを持っています。
これは決してリップサービスではありません。
だから、ついつい求めるものが高くなり、指導の口調が厳しくなってしまい、指導をしながら、内心反省する場面もあるくらいです。
これからどのように成長してくれるか楽しみです。
全員が自分自身としっかり向き合った稽古をしてもらいたいものです。
昨日、1年生の初心者組をはじめて巻藁で指導しました。
みんな弓構えに入るときに、同じように一所懸命手の内を作ろうとモタモタしているではありませんか!内心、(なにをモタモタしているんだ!早くしろ!)とイライラを抑えながらの指導となってしまいました。
この現象は、上級生の指導方法にあると思い、あとでそっと上級生が初心者に巻藁指導をしているところを覗いたのですが・・・
案の定、手の内の作り方の講義をしているではありませんか!
この光景を大内先生がご覧になったら・・・、と思うと思わず吹き出さずにはいられなくなりました。
上級生が一所懸命に教えている姿は微笑ましいのですが、ここはやはり大内流を貫かなくてはならないところですよね!
「おい○○!おまえ何を教えているんだ!おまえは手の内を教えるくらいのウデがあるのか!?そんなことやっているから1年生が取りかけでモタモタするんだよ!」(ガミガミ)
「えっ・・・」(呆然)
「おまえが手の内を語れるというなら、オレの前でやってみろ!手の内の良し悪しは会に入って弓の力を受けて初めてわかるんだ!だから手の内を教えるんだったら、実際に弓を引いて見せてみろ!」(巻藁場の外にいる部員にも聞こえるよに・・・)
「はぁ・・・」(師範は何を言っているのだろうか・・・)
「ちゃんと弓を引いて模範を見せろと言っているんだよ!ちょこっと弓を引っ張っただけで、手の内ができているかどうかなんかがわかるわけないだろ~」(きっぱり)
「そうですよね・・・」(なんとなく納得)
「手の内なんかを気にさせないで大きく引かせろ!取りかけはモタモタさせるな!こうやって(弓を持つしぐさを見せながら)フッと軽く持てばいいんだ!わかったか!(笑)」
「はい!わかりました!(わかったような、わからないような笑)」
大内先生ならもっと厳しかったかもしれません。
弓道をやっている人の中には手の内の講義したがる人が案外多いんですよね。でもそういう人の多くは、実際に行射をしながらの指導ではなく口先だけの指導です。「このような人は信用できない!」いつしか私はそういう考え方になってしまいました。
私の尊敬するある範士は手の内を真っ先に指導します。しかし、その先生は自ら行射をし、見本を示しながら指導します。的中も抜群でものすごく説得力があります。
大内先生のご指導を受け、その上このような先生が身近にいらっしゃるので、なおさら手の内の「口先指導」には偏見があるのかもしれません。だから、私は質問されたとき以外は手の内の指導はほとんどしません。指導するときは必ず行射をしながら教えるようにしています。なぜなら会から離れに至るときに手の内の良し悪しが顕著になるからです。ここが手の内のポイントで、口先だけでは到底説明の及ぶところではありません。
大内先生のご指導を受けた方々は、私の気持ちはわかっていただけるのではないでしょうか。一部の先輩から私は「温厚な性格」とご評価いただいているようですので、そのイメージを崩さないよう、なるべくやさしく怒鳴るようにしています(^o^)ゞ
今日は全関東の個人予選です。よい結果がでるといいなぁ(^o^)
少々前になりますが、獨協大学弓友会総会(5/14)のときの師範としての挨拶の要約を報告いたします。
大学弓道部指導のオファーを頂いたとき、地元で2件の弓道指導を担当していた私は手が回らないと思い、一旦は師範の話を辞退しようとも思いました。しかし、母校への恩返しとの先輩からの説得もあり、無理を押して引き受ける決意をした次第です。
昨年の部の戦績は至って不甲斐ないものでしたが、個別の射技はずいぶん改善されたと思います。特に初心者で入部した2年生の射形はとても整っていると自負しています。
そんな中、気づいたことが二つあります。
一つは、昨年の11月頃納会も近づいたある稽古日のことです。何気ないことから私が本気で部員に向き合っていることを彼らは理解してくれていたということです。これはとてもうれしく思いました。
そしてもう一つは、シーズンオフが明けた今年の3月のある日、稽古終了後にリラックスした雰囲気で、私も射の見本を見せたり、誰かをモルモットにしてみんなに説明しながら教えていたときのことです。楽しい!
当初先達への恩返しのために・・・、獨協大学弓道部のために・・・、後輩のために・・・、などと思って師範を引き受けたと思っていたのですが、それは全く違っていたということでした。どこかで恰好をつけていたのでしょう。
「私は、彼らに弓道を教えるのは自分のためにやっていることだ」ということに気づいたのでした。教えてやっているではなく、教えさせてもらってるでもなく・・・教えたいから教えているということです。今頃このようなことに気づくとは、まだまだ未熟で恥ずかしい限りです。
私の指導の基本的なスタンスは、大きく大らかにのびのびと弓道を楽しむということで、決して勝負にこだわったものではありません。ましてや中れば何でも構わないという考えは持っていません。どのレベルで中っているのかをみています。とはいっても中りで勝負が決まる世界にいる人たちの気持ちも十分にわかっているつもりです。私もまさにそういう経験をこの大学でしてきたのですから。
私は、弓道指導の中で彼らに自ら考えてその時点での最善の決定をし、それに対し責任をもって行動を起こすという気風を身につけてもらいたいと思っています。自分たちが決定したことを上から反対されたらすべてがひっくり返ってしまうと思ったら、自分で決定することがばかばかしくなるし、その結果への責任感も薄れるからです。
私は、彼らに「前例にとらわれず、自らの発想で行動できる人間になってもらいたい」と思っています。だから指導のときも「これはこうと昔から決まっているんだ!」などという言い方は一切していません。
昨年の師範就任のあいさつでも述べさせてもらいましたが、「自由に思ったことをのびのびとやってもらいたい。」ということです。ただし、自由というのは周囲を気にせず好き勝手にやるということではなく、結果に重大な責任を負っているのだということを基本にして指導をしています。
今年は1年生も12名入部し、弓道経験者も半数位いるので腰を据えて指導にあたります。OB諸氏も温かい目で見守ってください。
以上が獨協大学弓友会総会のときの私のあいさつの要約です。
手前味噌にはなりますが、部員は私の指導を「わかりやすい」といってくれます。これは、私が悩みに悩んでいろいろ考えて、それで分かったつもりになっていたが、やっぱり違うのではないか・・・、などと堂々巡りをしながら悩み続けた「賜物」が導き出した言葉だからだと思います。経験した者でなければ臨場感のある説明は出来ないでしょう。
私などは先代の師範には、とても及ぶところではありませんが、背伸びをせず部員と同じ目線で一緒に悩みながら指導をして行きたいと思います。
師範として至らない点ばかりが目立った昨年でしたが、これからも気負うことなく等身大で指導にあたりたいと思います。
OB諸氏におかれましては、部員を温かい目で見守っていただけますようお願いします。
先日、久しぶりに稽古に出て部員の顔を見ました。
みんな元気そうではつらつとしています。
オフにきちんと稽古をしていたのでしょう。
オフ明けとは思えないくらいの稽古でした。
私もこのオフにいろいろ射について考えました。
射と言うよりも離れでしょうか・・・
基本的に離れがよくないと中りは出ません。
では、よい離れとはどういうものでしょうか。
そして、どのように引けば離れがよくなるのでしょうか・・・?
私の離れは、大内先生からご指導いただいたもので、その基本的な考え方は変わっていませんが、
経験を積む中で、技術面ではずいぶん変わってきたと思います。
先般、とある師範から大離れの考え方をご教授頂きました。
なんと大内先生の教えに近いものがありました。
そのため、私の理解も早かったように思います。
部員に対する指導となると、口先や体を押さえる一方通行では、なかなか理解できるものではないでしょう。
自らが悩んでいることに対し、なんとかヒントを与えられないものだろうか・・・
それができれば、彼らの身につくのも早いのだけれども。
私の射を通して何某かのヒントが伝わらないものだろうか・・・
今年も試行錯誤を続けたいと思います。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年もすでに仕事始めをされたOB諸氏も多いこと思います。
大学の稽古が本格化するのは、しばらく後になると思いますが、
部員はすでに自分なりの課題を自分なりの工夫で稽古を開始していることと思います。
私は師範として指導するにあたり、「弓道はこういうものだ!」「射とはこのようなものだ!」などと上から目線でモノを言わないようにしています。
射形は自分のものですから、その人の考え方をあまり崩さないようにしています。
あまりにもピントが外れている場合は別ですが・・・。
自分なりの工夫といっても、その工夫をしたがために「メチャクチャになってしまった」などということも日常茶飯事です。
でも、メチャクチャになったことでわかることもいっぱいあります。
私はそんな経験を数えきれないくらいしています。
そこから這い上がるのもいい経験で勉強になるし、自信にもつながります。
なんといっても、後輩指導に大いに役立ちます。
みんな今日の中りが欲しくていろいろ工夫しますが、それでは上達しないのです。
上達するためには、明日からの継続した中りを求めないといけません。
こういう考え方は時間ばかりかかってしまうリスクがありますが、焦らず、じっくり腰を据えて指導していきたいと思っています。
今年こそ男子は、2部リーグ優勝、、1部昇格です。
女子は、1部リーグ優勝です!伊勢神宮に行くぞ!(^o^)/
みなさん現役を見守って応援してください。
私が師範として指導を始めた当初は、部員の顔と名前を一致させるのも大変でした。
また、各々の射癖をどのように直せばよいか・・・
手探りも極まれりといった状態で、手帳のメモも増える一方でした。
最近はすっかり部員の個性が頭に入ってきて、メモを見ながらの指導といったことはなくなりました。
稽古が終わったあとの自由稽古のときも、「ちょっと見てください。」と気軽(?)に声をかけられるようにもなりました。
わかってきたのは、私だけでなく部員も私のことをわかってきたようですね。
戦績については、思ったような結果を残せず、師範として大いに反省しなければならないところです。
冨田監督とも相談の上、指導の観点、方法をもう少し研究しなければと思っています。
私の考えをまとめるうえでも、部員の正直な意見を聞きたいと思っていたので、12月の納射会の終わりに少々場違いのあいさつをしました。
その趣旨は、
・師範の至らない点、こうしてもらいたいなどというリクエストは遠慮なく指摘してもらいたい。
・部員の最重要課題は、弓道部の発展であり部活動を充実させることで、師範に気を使うことではない。
・私は「雲の上の存在」になるつもりは毛頭ない。
・私が本気で部員に向き合っていることはわかるだろう、だから君たちも本気で向かってきてほしい。
・師範に対して、こんなことは言いにくいとか失礼にあたるという考えは捨てて、忌憚のない意見をいってもらいたい。
といった内容でした。
来年も指導の回数は思うように増やせないと思いますが、指導に出向いた時は全力で指導していきます。
OB各位も、ぜひ忌憚のないご意見をお聞かせください。
関係各位のみなさま、
今年1年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
1ヶ月に亘るリーグ戦、みんなよく頑張ってくれたと思います。
男子の戦いは綱渡りでしたね。
この状況下で、よくぞ1勝してくれたものです。
この1勝の価値は大きかった!
女子は、優勝こそ逃しましたがエースがいるので安心して見ていられました。
いずれにしても、わが部は男女とも選手の層が厚いとは言えないので、今後は新人はもちろん全体の育成が必要です。
たぶん、部員が一番理解していることでしょうから、「自分が頑張らなくては!」と自覚していることでしょう。
師範として手探り状態での指導を続けてきましたが、どうやら少しペースがつかめてきたようです。
部員も私の性格や本気度を理解してきたようで、うまく付き合ってくれています。
もちろん、個人的な感想です。
師範就任当初は、漠然と部員の射を見ておりました。
射技レベルの格差が大きいことは初見でわかりますが、
個々が持っている射技の柔軟性や力量までは計りかねるところがありました。
指導にあたり夏合宿ころから全体の目の付け所がわかってきたといったところでしょうか・・・
そのため、そのころから稽古での部員に対するコメントが「いつも同じようなコメント」の繰り返しになってきています。
なにかを徹底しようとすると、どうしても同じことを繰り返すことになりますよね。
今後のために夏合宿ころから種まきを始めています。
幸い部員は私の言うことを素直に聴いてくれていますので、
来年の春までには多くの芽が出てきそうな予感がしてきました。
もちろん、すでに効果が現れてきている部員もいます。
本人が一番感じているところでしょう。
それにしても、指導の仕方は大内先生に似てきますね。
まったく意識してはいないのに気が付くと「大きく引け!」といっています。
矢が上を向いているとか下を向いているだとか、そんな単に目に見える現象を指摘することはほとんどしません。
「大きく引け!」
言われている方は「なにが大きく引けだよ!それだけじゃわからないよ!(-_-;」
と思っているかもしれませんね(^o^;
私も指導者になって、射を大きくするという本当の意味がわかってきたような気がします。
さすがに「ガーっとやンな!」とはいいませんが・・・
(これは大内先生からご指導を頂いた一部の年配OBにしかわかりませんよね)
春までに、どんな芽を吹き出してくるか楽しみです。
夏合宿に行ってきました。
私は、8月29日から31日まで参加。
曇天、雨天の連続肌寒く感じることさえありました。
今後を考えると1、2年生には基本の徹底を中心に、
上級生には目前に迫ったリーグ戦を主眼に置きました。
今回は、めずらしく私もみんなと一緒に稽古をしたんですよ。
私の射のよいところを取り入れてもらうことが目的ですが・・・。
さて、みんなどう感じたでしょうか・・・(^o^;
若い人に交じってオジサンが引いている姿は浮いてしまいましたかねぇ(^o^)ゞ
大学から始めた1年生・・・「ズブの素人集団(初心者)」は案外勘がいいですね。
射形はきれいになってきてはいます。・・・が、
矢数が足りないせいか力みかえっているという感じです。
ここでしっかり基本を守れるかどうかで「中る人」と「中たらない人」に分かれてしまうんですよね。
だから、「基本だ!基本だ!」と言い続けましたが・・・。
さて、理解度や如何に・・・。
今年の1年生はみんな個性豊かですよ。だから教えていても楽しい!
私が個性的とは言えない方なので、個性的な人を見るとひきつけられますね(^o^)
こんにちは。
4月から師範になりました岡部です。
わたしも11期のOBなので仲間に入れてください。
師範就任の挨拶後音信不通のままではいかがなものかと思い、アップさせていただきました。
大先輩のOBには失礼かもしれませんが、あえて軽くいきたいと思います。
年に1回くらいは、部活動の内容のみならず、わたしが経験したことで参考になりそうなことをアップします。
わたしの「色眼鏡」を通してのお話しです。
いちOBの独り言とご理解ください。
さて、第1回は4月から現在まで私が指導した中心的な内容です。
みなさん三重十文字をご存じですか?
2年生でもこれが崩れている人が多いんです。
これは大学生に限ったことではありません。
自分ではできているつもりでも、傍から見るとかなり崩れているんですね。
大三に入るとき弓手で弓を強く押そうとするあまり、的に背中を見せるように体がよじれてしまいます。
初心者よりも初心者を脱して、自分で自由に引けるようになった人に多く見られる現象です。
うっかりすると4、5段でもよじれている人がいます。
2年生が陥るのも無理はないかな(^o^)
そういう人は、「自分は出来ている」と思い込んでいるから始末が悪い・・・!
ちょっと肩を押さえると・・・、
「えっ、こんなに的に向いちゃうんですか!?(@o@;」
「これで正常だよ!あんたが的に背を向けているんだよ。相手に(的に)背を向けておきながら、こっちを向いて(中って)くれなんてムシがよすぎないかい!(-_-)」
なんてやりとりは日常茶飯事です。
でも、獨協の部員はそんなことは言いません。
素直に受け入れてくれます。
やはり、弓道の上達は「素直な気持ち」が一番ですね。
注意したことは、目を見張るくらい改善してしまう人がいます。
変化が目に見えるから楽しいですよ(^o^)
でも、中りませんねぇ・・(^o^;
獨協は中る人と中らない人の格差が大きい!
中る人は、やはりきれいな離れをしています。
「このコはいい離れをするなぁ・・・!」
と感心して、見入ってしまう人も多いんです。
離れは一瞬のことだし、心理的要素にも左右されるので、教えてわかるものでもないんですよね。
わたしもかなり試行錯誤を繰り返しました。
中りは一朝一夕には得られませんものね・・・。
そんな折、全国的にも著名な範士と大学の弓道指導について話題になったことがあります。
範士曰く、「岡部さんねぇ、学生への指導は三重十文字の徹底だよ。中りは本人の努力だけどね(^o^)」
指導の方向性については、ちょっと安心しました。
部員には、
「あの射形なら中って当然だという射を目指しなさい!中りだけにこだわるな!」
とは言っていますが・・・、こだわりますよねぇ(^o^;
中りで勝負が決まる世界にいるんですから。
私の経験から言わせてもらうと、中りにこだわる時期があってもいいと思います。
そういう時期を経て上達していくものですから。
学生を指導しながら、
「オレもこんなだったんだなぁ・・(^o^)ゞ」
なんて若いころを思い出し、ニンマリしながら指導しています。